弊社の小史

63年9月 土師清次郎が東京都千代田区神田神保町で創業。ところが銀行研修社の社名を登記所が銀行法第3条「銀行でないものが銀行の名称を使用できない」という理由で却下。このため取り敢えず個人事業として発足。
64年4月 書籍第1号「日本の銀行」刊行。大蔵省銀行課長橋口収氏(後に国土事務次官から広島銀行頭取)の日本の銀行を出版。本書はユニークな構成で初版12刷のベストセラーとなった。
64年6月 社名を大蔵省銀行局と法務省民事局に交渉、受理され株式会社銀行研修社が誕生。払込資本金120万円。本社を神田神保町2-22赤石ビルに移転。
65年2月 社屋が手狭となったので渋谷区渋谷3-27-12並木ビルに移転。
65年4月 月刊「銀行実務」創刊。当時、支店行職員向けの預金、為替、付業、貸付等の実務記事を平易に解説した書物が少なかったので、創刊と同時に評判を呼ぶ。
65年11月 銀行の経営学全6巻を成蹊大学長野田信夫監修、学会から沖中垣幸(青山学大教授)、高宮晋(上智大教授)、宇野政雄(早大教授)、小野寛徳(産能大学長)、諸井勝之助(東大教授)、武沢信一(立教大教授)の編集のもと金融界から実務家37人の執筆者で完成した。
70年1月 貸付実務講座全3巻、および貸付演習講座全2巻を共に今井勇(住友銀行調査部長)編著を刊行。
70年2月 野田一夫立教大教授の責任編集で明日の銀行経営全6巻を当時都銀の論客として知られた中林哲太郎(全銀協業務部長)、荒田耕一 (三菱事務部長)、草葉敏郎(三井業務部長)、日高邦雄(第一人事部長)、石川留巳之(富士企面部長)、水谷司鶴夫(三和調査部長)の6氏が参画し1年猶予をかけて完成。当時、総合職のバイブルとなった。
72年9月 10周年記念出版に新銀行実務法律講座全8巻を学会から星川長七(早大教授)、服部栄三(東北大教授)、加藤勝郎(専修大教授)、遠藤浩(学習院大教授)、堀内仁(日大教授)氏に対し金融界法規グループの権威者石井眞司(第一勧銀)、鈴木正和(協和銀)大西武士(都民銀)氏等が参画し総勢94人の執筆者により2年猶予の歳月をかけて完成。
73年9月 大蔵省銀行局7課長の編集による金融行政の解説版「金融カレントトピックス」を創刊。初代編集委員長に磯辺律男総務課長、世話役に土師社長が担当。銀行行政を全金融機関経営者に周知する手段として業界から高く評価される。2年後、財務局理財部の職員研修教材に指定される。
73年10月 業界初の本格辞典「金融法務辞典」を金融法規の権威者堀内仁、吉原省三、石井眞司、鈴木正和氏の責任編集で法律学者、弁護士、実務家109名の執筆者が参加し、2年猶予の歳月をかけて完成。
74年2月 電算機を導入。事務の大量処理のために電算機(ユニバック)を導入。銀行コード、支店コードをマスターに登録し銀行別支店別売掛債権管理をベースに開発。当時中小出版社が電算機を導入しシステマテックに立ち上げた例が少なく多くの見学者が訪れた。
76年7月 銀行経営セミナーを経団連国際会議場で開催。大蔵省銀行局の局長、各課長、証券局主要課長の講師で2日間開催。都銀、地銀、相銀等の役員・部長、MOF担約150名が出席。このセミナーは83年7月の第8回まで毎年開催した。
79年6月 本格的辞典の第2弾として貸付用語辞典を今井勇(住友銀行調査部長)、堀内仁(日大教授)責任編集で総勢140人の執筆陣で完成。
80年4月 大蔵省銀行局編集の通信講座「歩積両建預金取扱講座」を開講。歩積両建預金取扱いは金融機関の行き過ぎに対して国会でも取り上げられ金融界の自粛が問題になっていたので、銀行員の必修学習となった。
80年8月 本社屋を東京都豊島区北大塚3-10-5に新築落成。28日に落成パーティを開催した。
80年9月 銀行入門講座全12巻完成。フレッシュマンの入門書として1巻金融、2巻経済、3巻民法、4巻会社法、5巻手形小切手法、6巻預金、7巻内国為替、8巻貸付、9巻外国為替、10巻簿記、11巻財務諸表、12巻税法を刊行。
81年4月 外国為替基礎講座。外国為替の全面改正を契機に第1巻「概説・送金・資本取引」第2巻「輸出取引」、第3巻「輸入取引」を都銀9行の各外国業務部長または国際部長の共著で完成。
83年5月 20周年記念出版に営業渉外戦略シリーズ全5巻を三和、東海、太陽神戸、大和、富士、住友、第一、三井、三菱、協和の都市銀行10行の役員・部長の編著に総勢89人の執筆陣により完成。
83年8月 東京都板橋区高島平に配送センターを新築落成。本社倉庫が手狭となったので全作業を移転した。
87年9月 創業25周年パーティ。東京會舘で平澤大蔵省銀行局長、宮崎全銀協会長(第一勧銀頭取)、服部日本書籍出版協会理事長(講談社代表)ら多数の来賓出席のもと祝賀会を開催した。
87年10月 月刊「営業推進」を月2回刊に変更し土師主幹のトップインタビューを3年間、35人の経営者と対談した。
88年4月 大蔵省銀行局金融取引管理官室監修のわが国初のコンプライアンス啓蒙のための通信教育「銀行管理者法律講座」「銀行取引管理者養成講座」を開講。金融コンプライアンスの先駆けとなった。
88年6月 国際金融用語辞典を刊行。本格的辞典第3弾として徳田博美(商工中金副理事長)高橋浩二(第一勧銀副頭取)酒巻英雄(野村證券副社長)中島敬雄(公認会計士)編集。約240名の執筆陣で完成。国会図書館推薦図書に選定。
89年1月 金融検定協会を新設し金機関行職員を対象のキャリアアップ試験に進出し銀行取引管理者試験(現在のコンプライアンス検定試験)を実施。
89年4月 金融機関の顧客に対する資産運用アドバイス力向上のため財務アドバイザーインストラクター養成講座を税理士法人代表根岸良子氏講師により7日間の合宿研修を東京生命相模原研修所で開催。受講者20名の研修会を5回開催する。
90年2月 郵政省貯金局の委託事業「郵貯FA通信講座」「郵貯FA検定試験」を受託。毎年約4万人の職員研修に入る。
92年11月 金融取引ルールブックを刊行。金融コンプライアンスの行職員必携書としてベストロングセラーとなる。
97年11月 韓国金融研修院金星換院長一行が来社。今後の役職員研修について業務提携の覚書を土師社長との間で締結した。
98年5月 代表取締役社長土師清次郎が会長、後任社長に星野広友常務が就任。取締役に奥山勝美、石川昭、坂本修二、里村武信、山口雄司が重任。
98年10月 役員会で社名をBSIエデュケーションに変更し、銀行を主軸にしながら、証券、保険市場進出を決定。
98年12月 保険業界向け通信講座生保役職員のコンプライアンス講座開講。
99年1月 保険業界向け第2号「これなら分かる保険実務講座」を開講。
99年2月 受験者から要望のあったSCO、ACO検定試験に問題集を刊行する。これをきっかけにPSM、TAA,自己査定2級・3級を刊行する。
00年5月 土師会長が代表取締役社長に復帰。星野社長が常務に、坂本、山口両取締役重任、奥山、石川両常務は辞任。社名を元の銀行研修社に戻し保険、証券市場から撤退する。
01年12月 日本版財務最高責任者(JCFO)全6巻講座を東北大菊池和聖、慶応大柳原一夫、公認会計士和井内清3氏の監修で73名の執筆陣が1年有余の歳月をかけて完成し通信講座として開講した。同時に金融検定協会認定試験の受験資格をセットし中日新聞ほか数社のニュース報道で大きく取上げられた。
02年7月 経済産業省が地域金融人材育成計画を立ち上げ中堅中小企業CFOを発表、内容は弊社の日本版最高財務責任者講座とバッティングするため善処を申し入れ、同省研究文を無償で使用することで和解、日本版最高財務責任者に代って中堅中小企業CFO講座が誕生した。
03年6月 任意団体であった金融検定協会を内閣府承認の特定非営利活動法人として独立し、初代理事長に野田一夫氏(多摩大初代学長)、副理事長に土師清次郎が就任。新発足の祝賀会で検定試験事業に多大の貢献のあった京都中央信金、第四銀行、肥後銀行、四国銀行、南都銀行に野田理事長から感謝状を贈呈した。
03年7月 金融機関の不良債権処理を支援するため事業再生アドバイザー講座(TAA)を企業再建コンサルタント協組(代表理事真部敏巳氏)と提携して開発。本講座は日経新聞にも大きく報道され開講1年で2千人を超える受講者が集まった。
03年11月 韓国研修院の招待により同社を訪問。金院長との懇談の後約2時間、わが国の事業再生について土師社長が講演(同時通訳)する。
03年12月 全国貸金業協会の会員職員のためのコンプライアンス研修、通信講座、検定試験を受託。毎年約1万人弱の職員研修を行うこととなった。
04年4月 郵政民営化の国会決議を受けて郵貯FA委託事業から撤退。これにより郵政職員向け通信講座、研修事業から撤退。残務整理を郵貯振興会に移管する。
04年5月 03年に成立した個人情報保護法が金融機関のお客様取扱いに大きく影響するため個人情報取扱主任者講座(PSM)を開講し初年度1万人を超える受講者が集る盛況となった。
04年11月 経済産業省の地域金融育成計画に則り中堅中小企業CFOを開講。本講座の仕上げを九州大学ビジネススクール教授村藤功氏が監修。本講座は約1千人弱の中堅・中小企業経営者が受講し金融機関対象の講座が一般企業にも利用されることになった。
05年8月 国交省住宅局長諮問機関の住宅ローン調査報告を受け住宅ローンアドバイザー講座を開講。同時に検定試験を実施。開始1年で住宅事業者職員約1万人が受験、これに金融機関職員が続き受験者57,500人、合格者42,320人(16年末現在)となる。
05年10月 相続実務講座を根岸良子氏(中央税理士法人代表)の監修で開講し翌年5月に金融検定協会検定試験の教材に指定される。
06年5月 大阪支社を大阪営業所、名古屋、福岡、仙台営業所を駐在所に組織変更する。
07年3月 郵政事業撤退に伴う減益カバーのため大阪支社ビルを82,000千円で売却、同年3月期決算で146,712千円の売却損を計上する。
10年3月 貸金業法の改正で同協会受託の検定試験が国家試験になり、貸金業向け通信講座、教材開発、研修事業から撤退する。これに伴う減益カバーのため東京板橋配送倉庫を本社地価1Fに移転し、88,000千円で売却。同年決算で売却損21,093千円を計上。
12年7月 NPO法人金融検定協会を一般社団法人に改組し、理事長土師清次郎、副理事長雨宮眞也(駒沢大学長)が就任。
13年5月 通信講座名称「金融シニアコンプライアンスオフィサー」を「SCOマスター」、金融アシスタントコンプライアンスオフィサー」を「ACOマスター」に改称する。
16年3月 通信講座「事業支援アドバイザー講座」の名称を「事業性評価力養成講座」に変更、受講者が倍増する。
16年11月 通信講座「個人型DC早分かり講座」「マネーローンダリング・反社取引防止講座」「保険提案実践講座」を開講。
17年1月 「収益拡大のためのM&A実践講座」を開講。
17年4月 「ベンチマーク徹底理解講座」「信託活用実践講座」「協会保証活用実践講座」を開講。女性マネジメント講座を「女性初級役席講座」に改称。「ソリューション営業のすすめ方」竹内心作著刊行。
17年6月 「金融リスクマネジメント講座」「中小企業事業再構築講座」を開講。「民法改正と金融実務Q&A」岩田合同法律事務所編著を刊行。
17年10月 通信講座「マイナンバーと銀行実務講座」「定型預り資産講座」「フィデューシャリー・デューティー講座」を開講。
18年2月 通信講座「マネロンガイドライン即戦力講座」を開講。
18年4月 「フィンテック早わかり講座」「フィービジネス推進講座」を開講。
18年8月 FATF対日相互審査を控え「マネロン初級講座」「マネロンガイドライン即戦力講座」を開講し34,000人の修了者を輩出。
19年1月 高齢者取引実践講座と障害者対応実務講座を合併し「高齢者・障害者対応実務講座」として開講。
19年4月 通信講座「FPのためのプライベートバンキング推進講座」及び「債権法改正早わかり講座」「企業型確定拠出年金推進講座」を新規開講。
19年6月 事業承継計画が完了したため創業者代表取締役会長が退任し名誉会長に就任、後任代表取締役社長に星野広友が就任した。なお、伏見直剛、安立充典両常務取締役が編集部門及び試験部門を固めることとなった。
19年10月 来たる債権法改正に対応した通信講座「改正民法完全対応預金法務再入門講座」「改正民法完全対応貸付法務再入門講座」改題開講。
20年2月 債権法改正に伴い、各金融機関の貸付関連書式・契約書等の見直しサービス対応。また債権法改正に対応した書式集発売。
20年4月 通信講座「サイバーセキュリティ早わかり講座」「法人ソリューション営業推進講座」「金融商品マスター講座」「相続相談事例講座」「老後資金プランアドバイス講座」を新規開講。
20年10月 金融検定協会SDGs・ESG試験対応「金融機関のSDGs・ESG金融実践講座」を新規開講。
21年1月 新型コロナにより疲弊する地域経済活性化のため通信講座「ポストコロナ 金融・本業支援講座」を緊急開講。
21年4月 多くの金融機関の中期経営計画で採り上げられているDX(デジタルトランスフォーメーション)をわかりやすく解説する通信講座「DXと金融マーケティング講座」を新規開講。
21年11月 FATF第4次審査報告ならびに改正マネロンガイドラインを受け、マネロン対策に対する最新の対応策をわかりやすく解説する通信講座「マネロン対策ブラッシュアップ講座」を開講。
22年6月 取引先の経営課題解決営業が注目される中「ヒト」「モノ」「カネ」への提案が着目され「ヒト」にフォーカスした「地域金融機関の人材ソリューション講座」開講。
22年11月 新型コロナウイルスで影響を受けた企業は支援でなんとか凌いで来たが、それも終了したための再生支援が求められているため「業種別事例で学ぶ中小企業・個人事業の再生支援講座」を開講。
22年12月 創業者土師清次郎が個人事業として設立し60周年を迎え、記念に「銀行研修社60年史」を発行。全国の金融機関をはじめこれまでに協力いただいた著者、各種法人に謹呈した。

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